子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

6月27日(土)柳沢協二の国会ウオッチその2

6月27日(土)柳沢協二の国会ウオッチその2

機雷掃海 議論するほど矛盾鮮明

2015年6月2日 朝刊
 安倍晋三首相は一日の答弁で、集団的自衛権を行使して戦時の中東・ホルムズ海峡で実施する機雷掃海について「受動的、制限的な行為」と強調するため「完全な停戦合意はしていないが、合意に向けた話し合いが進んでいる状況」でのみ行うような説明をした。
 だが、そんな限定的状況なら期間も短く、ほどなく正式停戦になるし、手続きが残っているだけなら外交力で早く決着させればいい。原油の輸送ルートもほかにあり「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という武力行使の要件に当たるはずがない。
 首相はこんなに無理がある事例に、なぜこれほどこだわっているのか。現憲法で集団的自衛権の行使を容認する解釈の変更をするために、何とか説明のつく事例として、自身が一番理解できたのが機雷掃海だからではないか。
 首相は私が官房副長官補を務めていた第一次政権でも解釈変更しようとしたが、当時の事例は弾道ミサイル迎撃と米艦防護で、機雷掃海はなかった。今回、機雷掃海が加わったのは、おどろおどろしくなく、国民にも理解されると思ったのかもしれない。だが、要件と矛盾するのは明らかで、議論すればするほど説明がつかなくなっている。
 集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」や他国軍を支援する「重要影響事態」に、明確な認定基準がない。特に存立危機事態は日本が武力行使するトリガー(引き金)であり、武力行使とは戦争だ。国がいつ戦争するか、主権者である国民の誰も分からない法律をつくろうとしている。立憲主義からもおかしい。 (聞き手・上野実輝彦)

柳沢協二の国会ウオッチその3

2015年6月6日 朝刊
 中谷元・防衛相が、集団的自衛権行使を憲法解釈の変更で容認することは「立憲主義を否定していない。解釈変更は行政府の裁量の範囲内だ」と答弁したが、明らかに間違っている。
 憲法上、集団的自衛権の行使は認められないというのは、何十年もかけ定着し、法的に安定した国民のコンセンサス(合意)だ。それを政府が勝手に変えることは「裁量」などとは言えない。それは立憲主義に反している。日本が武力行使するかどうかの基準、つまり国にとって最大の重大事である戦争するかどうかの判断だ。国民が納得し、リスクを覚悟することも必要で、明確な共通理解がなければいけない。
 衆院憲法審査会で、与党推薦の参考人を含む憲法学者全員が、安保法案を「違憲」と断言した。憲法学者の大多数は同じだろう。重い事実だが、政府は専門の学者の意見に聞く耳を持とうとしない。安倍晋三首相が「早く質問しろよ」とやじを飛ばしたのと同じ姿勢で、違う意見は聞く必要がないということだ。
 今回の安保法案は、武力行使法であり戦争支援法だ。日本が攻撃を受けていないのに、政府が「日本の存立が脅かされる」と判断すれば武力行使できる。だが、他国への攻撃をどうやって日本への攻撃と同等と評価するのか、審議でも説明できていない。
 立憲主義とは、国家権力の裁量の範囲を憲法によって制約する考え。だが政府は「政府が決めるから、国民は任せなさい」と言っているだけだ。裁量というだけなら、その姿勢自身が憲法違反だ。6月6日東京新聞朝刊 (聞き手・大杉はるか)

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