子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月15日(金)  日本作文の会・福島大会

9月15日(金)  日本作文の会・福島大会

 理論研究会の9月例会は、夏の研究会に参加した者の資料提供が求められている。あれから2ヶ月近く前のことなので、大部忘れかけていることもあるが、何とかまとめた。私の他に、田中さんと日色さんが参加しているので、同じように資料を持参するだろう。

遅れて出発

 大宮から、新幹線で1時間ちょっとで、福島駅に着く。ぼくは、午後1時過ぎまで、透析をして、午前中に出発した妻に合流するために、全体会会場へ、タクシーに乗り到着。久しぶりの片桐さんを誘って、妻と合流する。全体会の会場は、8割くらいの席が埋まっていた。1日目の終了と同時に、、分科会報告者と世話人の打ち合わせに移る。
 全体会の会場で速報を何枚か頂く。第2号の所に、藤田美智子さんの歌が載っていた。
★「戻れぬと言われた方が楽だよ」と口と頬のみを緩ませて言う
★どうせ住めぬといわるる土地を故郷に待つ人らいる黙しつついる
★仮設住宅の部屋に扇風機は回りいて老婆は外に風を待ちおり

久しぶりの報告者

 久しぶりの報告者に名乗り出た。分科会は、困難を抱えた子どもたちの言葉・表現〈いじめを含む〉。1日だけの分科会だが、提案者は4人だった。じっくり討論するためには、2人で十分な気がする。4人の報告では、1つのレポートを深めるわけには行かず、提案しっぱなしの感じがした。私の分科会には、福島テレビの人が取材をしていた。内容が内容だけに、放送する前に事前の打ち合わせをしてほしいと伝えておいた。その日のニュースにするのでなく、まとめて特集を取って放送するらしい。今のところ、その連絡はない。レポートは、最後に勤めた学校での、5年間継続して取り組んだ「人権集会」についてであった。毎年、戦争体験の聞き書きをしていたので、生活綴方と平和分科会に出ていたので、最後の職場での厳しい暮らしの中で育つ子どもたちの実態は、報告する機会がなかったので、引き受けた。参加したメンバーは、25人くらいいたが、そのうち3分の1は、大学生であった。格差社会の中で生きている子どもたちの実態を知りたいという声が多かった。ぼくは、1時間目にクラス全員顔がそろわない実態を述べた。シングルマザー・ファーザーの子弟、中国残留孤児の2世・3世の子どもたち。休み時間になると、中国語の会話が飛び交う話をした。日本語が、しゃべれないままに入学してくる子ども。不安な中で、当然いじめもあった。自分のことを悪口言っているのだが、それに対して、日本語でうまく言い返せないもどかしさを書いた子ども。併設されている日本語学級に通い、徐々に日本語を覚えて、次第に友だちが増えていった作文。その過程の中で、自分がまだ日本語がわからないときに、中国語でしゃべってきてくれた時のほっとした気持ちを正直に書き、1年後あとからクラスに転入してきた中国の友だちに、中国語で友だちになろうと、自分の昔の体験と重ねながら話しかけた作文。どの文章も、作文教育がなせる技である。その他、理論研究会でも取り上げた生まれつき左手の指がないこのいじめ事件や母親が小さい頃に蒸発してしまって、小学校の卒業式には来てくれるのかと、かすかな期待を寄せながら、卒業式に向かう子ども。結局会えずに、その作品を人権集会で発表し、全校児童に大きなインパクトを与えた作品などを紹介した。世話人の1人が書かせっぱなしの「なにわ作文の会」の土佐いく子さんだったが、それほど強い反論はなく終わった。

原発事故の後遺症

 3日目は、講座の中で、福島の原発事故の実情がわかる講座に出た。
 その中で、原発事故の浪江町出身の元小中学校教諭だった人の詩を中心とした話は、今なお何も解決していない福島の実情が伝わってきた。

語り部たらん 二階堂 晃子

古来より人は語り伝えてきた
人が生きていく思い
忘れ去られようとする言葉
消されようとする歴史
広島を、長崎を、沖縄を
人々は語り継いできた

今、語り部たらん
見えない、匂わない、感じない福島を
ふるさと追われ葬(ほうむり)り去られ、
風に運び去られんとする福島を
ブルーシートの下に隠され消えない線量
フレコンバッグピラミッドを横に置いた避難解除を
裏山除染作業のすぐわきで部活をする高校生
地表より1メ-トルを測量する意味
人の生殖器官の高さであることを
廃棄物を積んだトラックと並走している日常を

手を付けられない原発立地町に臨み
「双葉町の避難指示が一部解除された」と
あまりにも無知な東電新社長の
凄まじい認識不足を、無責任さを
「復興」の2文字に見捨てられていく日々を
今、語り部たらん

6年の歳月に刻まれる9万の避難者の物語を
自らの命を絶った幾十人の無念さを
「何回も死のうとと思った、
でもしんさいでいっぱい死んだから
つらいけどぼくは生きると決めた」
少年がギリギリ生きたこの思いを
今、語り部たらん

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