子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月22日(木) 久しぶりの原発反対集会

9月22日(木) 久しぶりの原発反対集会

お彼岸の日に

 久しぶりに「さよなら原発・さよなら戦争」9.22大集会に参加した。あいにく、台風のあとの雨雲で、今朝から雨だった。今日は、秋のお彼岸である。前の日に買って置いたお彼岸用の花を携えて、母の墓参りに家族3人で出かけた。歩いても、10分くらいの所にあるのだが、雨だったので、車で出かけた。墓が近くにあると、こんな時には、たいへん便利だし、助かる。

みんなばらばらで出かける

 家に帰ってから、少し休んでから、それぞれ出かけていった。妻は、親子劇場の例会で、友だちと一緒に出かけていった。娘の千香は、友だちと会うので、同じように出かけた。私も、この雨では、出かけるのもおっくうに感じてきたが、決めたことなので、11時半頃家を出た。近くの食堂で、簡単な食事を取り、原宿に向かった。駅に着くと、かなりの人々が、乗り降りしていた。午前11時から始まっていたので、会場に着くと、第1部がそろそろ終わる頃であった。

発言者は、みんな魅力的

 第2部は、午後13時20分から始まった。私は、壇上の目の前まで行って聞いていた。司会の人から紹介されたのは、呼びかけ人の一人、澤地久枝さんだった。国分さんの「しのぶかい」の時にも来てくださった。和服の似合う方だが、この日は洋服だった。この人の語りは、お年のわりに、張りのある元気な声でいつも魅了されている。昨日、政府が、9月21日、原子力関係閣僚会議を開き、年末までに廃炉を含む抜本的な見直しをすることで合意したことを、報告された。すぐに廃炉とは、言えない。税金を、つぎ込んできて、ほとんど機能せずにおしまいにするので、国民から批判が来るので、曖昧に表現にしている。ほんとうは、たいへんな失政なのだが、マスコミも曖昧を追求する姿勢が弱い。
 ネットで調べてみると、「使った以上のエネルギーを生み出せる「夢の原子炉」稼働から21年たつが、事故とトラブル続きで実際に稼働したのは4カ月。年間200億円の維持費を食い続ける「金食い虫」として、大きな批判にさらされてきた。
 原発で使った核燃料を再利用する「核燃料サイクル」の要だったもんじゅが廃炉に向かうことで、日本の原子力行政は大きな転換点を迎える。ただ、政府が高速増殖炉の開発自体をあきらめたわけではない。」と書かれていた。

福島の叫び

 次は、福島から駆けつけたたくさんの人々が、むしろ旗に「福島の人を、皆殺しにするな」とか「福島の農産物は、安全です」等と書かれた大きなプラカードを持っての入場してきた。子どもたちの姿も何人かその中にいた。代表して、武藤類子さんが、あいさつしていた。この人の演説も、大集会があると、良く登壇してくれる。「福島に、740人の子どもたちが、甲状腺がんの疑いがあると言われています。その因果関係については、福島の原発事故が原因と認めていない。」子どもの甲状腺がんを調べている医者には、政府から相当な圧力がかかっているのだろう。

ユーモアたっぷりのビナードさん

 次は、アーサー・ビナードさんの話になった。いつものように、ユーモアにあふれた話であった。東京電力の福島が、一番困っていることは、地下水が放射能で汚染され、雨水と一緒になって、あふれ出ていることである。その処理を巡って、汚染水を「凍土」にするという方法である。日本列島が「亜熱帯」になりつつある所へ、莫大な電源を使って、永久に「凍土」にするという案だ。そん莫大な電気代を、国民から、一律に電気代に載せるということだ。しかし、それがうまくいかない。「とどのつまり」失敗の連続である。
 「凍土」と「とどのつまり」をかけたものである。笑いが少し起きた。
 また、最近「東京電力」という社名がなくなったと言うことだ。インターネットで調べてみると、「東京電力ホールディングス」と言う名称変更である。ビナードさんは、「ホールディングス」という名前は、正しいのではないかと考えているそうだ。それは、福島の原発を爆発させて、大きな穴を開けて、そこから放射能が地下水に漏れ出した。「ホールディングス」だから、ホール〈穴〉を開けたんだから。とおもしろおかしく結びつけてくれた。会場から、「うまいぞ。」という笑い声とともに、大きな拍手がわいた。
 1人の持ち時間が、5分くらいなのに、話の仕方は相変わらずうまい。そのあとは、木内みどりさんの話であった。この方は、いつも司会をされていたのだが、今回は、演説者に指名されてしまったと言って話し始めた。今回来られなかった落合恵子さんのメッセージを最後に読み上げておられた。
 閉会のあいさつは、鎌田慧さんだが、会場から離れた。この方の東京新聞のコラムを見て、この日の集会のことを知ったのである。
 この日は雨でもあったので、履き慣れない長靴で来たので、足がしびれてきてしまったので、家に帰ることにした。日教組や東京教組の旗の下に、誰か知っている人が来ていないかと何回かのぞいてみたが、何人か知っている顔もあったが、そのまま帰ることにした。原宿の駅の近くに来たときに、「榎本さん。」と声をかけられた。顔を上げると、元墨田教組委員長の原さんだった。「この日は、雨でデモもないよ。」と教えてあげた。
 家に帰って、万歩計を見ると7000歩〈5キロ〉と記録されていた。1日、最低5000歩は歩くようにしているので、いい運動になった。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional