子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

12月5日(水)作文が消えた

12月5日(水)作文が消えた

教科書から「作文」という言葉が消えた

 改めて、この問題を整理し、新聞に投稿するつもりで書き直してみた。朝日新聞の「声」の欄は、500字だ。東京新聞に至っては、380字なので、この書いた文章を半分以上削らないといけない。とりあえず、思いつくまま書いて、あとから削ってみよう。
 1998年の学習指導要領の改訂で、それまで戦後ずっと大切にされてきた「作文」という単元が大切に扱われてきたが、なくなってしまった。それにあわせて、教科書からも「作文」という単元がなくなった。今年で20年経つ。その時小学校に入学した子どもたちは、現在26才になっている。つまり、この年令より若い人たちは、「作文」と言うことすら知らない人も多い。
 近所に小学生の子どもがいるので、「作文を学校で書いている?」と聞いてみたら、「作文てなあに?」という反応であった。「では、読書感想文て、書いたことある?」と聞くと、夏休みの宿題でやっている。今や、学校現場は、子どもたちから、日常の生活の中で、心に残ったことを書く「日記」もほとんどやっていないようだ。
 文章の書き方の基本を教えずに、いきなり夏休みの課題でお茶を濁しているのが、実情だ。
 私が小学校の教師になった頃、担任教師は、誰でも子どもたちに日記帳を持たせて、丁寧に文章を読み赤ペンを書き込んで返事を書いて、子どもたちを励ましていた。しかしながら、現場は忙しく、「作文」という言葉はなくなり、単元もなくなり、子どもたちに文章を書かせることをしなくてもすむようになった。
 大学生になってもまともな文章が書けないという話をよく聞く。当たり前だ。小学生から、文章を書く機会を奪われ、そのまま中高大と進んできた子どもにとって、原稿用紙を埋めるという作業は、ほとんどしないまま成長してきた。文科省は、そこの所をどのようにとらえているのだろうか。保護者のみなさんも、「作文」という単元がなくなったことを知らない人もいるのではないだろうか。この空白の20年間を埋めることは、大変な作業になる。では、教科書から全くなくなったかというと、そうではない。随筆・読書感想文・報告文・招待文・短歌・俳句などという単元はある。つまり、子どもたちが日常生活の中で、喜怒哀楽様々なことを体験しながら生活している。そういう文章を書くことが、「作文」の神髄になる。つまり、「何を」書くかを、子供自身が見つけて、それを書くことが、一番書きやすく、値打ちのあることを発見して書いてくるのだ。ところが、今の教科書は、「何を」にあたる部分は、はじめから決まっていて、それを「記述」するような書かせ方なのである。
 報告文などを書かせるには、1回限りの出来事を書くのでなく、やや長い間の出来事を説明するように書いていくことを要求している。そうなると、丁寧に事実を思い出して書く必要がなくなり、おおざっぱな概念的な文章で十分なのである。こういう書き方を、小学校1年生の段階から要求しているのである。「ものの見方、考え方」を深めるのが、従来の「作文」の大きな目標である。
 6年生にあって、原稿用紙の書き方を知らないで、卒業してしまう子どもたちもいるのではないかと、心配している。


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