子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

12月12日(水)山形の打ち合わせ

12月12日(水)山形の打ち合わせ

 今週の月曜日、透析をしたあと、国分さんの故郷山形県東根市の青松館に向かった。
 前の日まで雪が大部降ったようで、東根駅につくと、すでに薄暗くなっていた。タクシーに乗り、一緒に行った工藤さんと宿の青松館に向かった。すでに、田中さんと日色さんは、午前中に東京を出て、山田享二郎さんの病院へ、お見舞いに行ってくれたようだ。体が冷えてしまったので、すぐに温泉に向かった。湯量が豊富で、毎年夏の研究会には、いつもここの宿でお世話になっている。この宿を利用してから10数年経つ。ここの宿は、国分さんの弟さんの正三郎さんが、当時宿のご主人が小学校時代の同級生であったことから、お願いしそれ以来ずっと宿泊代は同じで、大変お世話になっている。今回は、地元の人が、別の飲み屋さんで、我々を歓迎してくれるので、青松館には、夕食抜きの朝食のみの1泊4人を頼んでおいた。
 地元の人は、村田民雄さん、国分正三郎さんのご子息の恵太さん、小野正敬さんの3人が、我々と一緒に交流を深めて下さった。魚が大変おいしく食べることが出来た。
 明日の教育委員会との話し合いをどう詰めるかという話が中心であった。来年の4月1日には、記念館を大幅に改築し、その中に国分先生の記念館もほかの団体と一緒に、なるとのことであった。
 帰りは、恵太さんが代行者を頼んでいたので、その車に工藤さんと一緒に宿舎まで、載せて行ってくれた。雪道で、暗いので、それほど遠くはなかったが、助かった。宿に着いたのが、10時を過ぎていた。すぐに冷えた体を温めるために、再び温泉に行き、体を温めた。工藤さんは、明日入るので、今日は部屋にいるとのことであった。風呂から出てくると、となりの日色さんと田中さんの声が聞こえた。「一緒に飲みませんか。」と日色さんが呼びに来てくれたのだけど、少し疲れていたので、工藤さんだけ隣の部屋に出かけた。1人テレビを見ていたのだけど、眠くなり、電気を消して、床に着いた。

2日目の仕事

 2日目、朝起きると、たくさん寝たので、疲れは、すっかりなくなっていた。すぐに食事前に温泉に一風呂浴びに行った。朝食の用意が出来ていたので、すぐに食堂に行った。9時に恵太さんが迎えに来てくれるので、それまで時間が少しあったので、再び温泉に入ることにした。部屋に戻ると、出かける用意をして、青松館をあとにした。
 午後から教育委員会に行くので、午前中は、時間があるので、山田享二郎さんが勤めていた資料室をおじゃますることになった。何しろ、2度ほど引っ越しをし、今のところに落ち着いているとのことであった。恵太さんは、仕事があるので、午後に教育委員会で会う約束をし、そこで分かれた。教育委員会の人が2人お見えになり、そこで色々な話をした。1時間近く話をされた後、帰られた。
 改めて、じっくり国分さんの資料を見ていて、その量の多さに圧倒された。山田享二郎さんがされた仕事の一部を見ることが出来た。国分さんの資料を丁寧に読み、年代順にファイルで収めたものが、20冊以上並んでいた。享二郎さんが座って仕事をされているテーブルには、仕事をされたままになって書類が並んでいた。途中で、村田さんが見えたりして、お昼の場所を確認して帰られた。
 私は、書棚に並んでいる国分さんの本を、写真に順番に撮った。その後、いくつかの資料をずっとながめていた。その中に、長瀞小100年史というのが分厚い本になっていた。それを田中さんが見つけてきてくれて、私に渡してくれた。丁寧に読んでいくと、戦前の国分さんが勤めていた頃の教育の話が出ていた。想画教育と綴り方教育のことに触れて、地域の人たちは最初絵の具代や画用紙代が大変だと反対だったが、子どもたちが描く想画に次第に理解を示し、保護者も地域の人たちも協力的になっていったと書かれていた。 

第11回日本作文会全国大会

 1962年日本作文の会が第11回全国大会を国分さんが勤めた長瀞小学校で行っている。歓迎の挨拶を当時長瀞小学校の校長田中新次郎さんが行っている。その時の国分さんの最後の教え子「もんぺの弟」の一人が、植村信次郎さんがPTA会長をされていた。この方は「こぶし忌」時代は、副会長を長らく務めて、会のために尽力して下さった方である。2年ほどまえに亡くなられた。その植村さんが、壇上で、歓迎の挨拶をしている。「私たちは、国分先生にたくさん文章を書くことを教わりました。」と熱く挨拶している。地元の実行委員長は、やはりもんぺの弟の一人である鈴木千里さんが進行係をしている。壇上にいた国分先生は、この時どんなにうれしかっただろうと想像しながら読んでいた。山田ときさんなどは、まだ現職で多くの仲間を引き連れてこの会を盛り上げていたに違いない。 国分さんは、まだ共産党に席があった頃である。こんなふうに1冊の本を読んでいくだけで、1時間以上時間が過ぎてしまった。

教育委員会へ

 村田さんが、迎えに来て下さり、近くまで車で移動して、昼食をとった。しばし歓談したあと、東根市役所の中にある教育委員会の生涯学習課に向かった。会場に着くと、教育委員会からは、3人の方が見えた。地元の人は、村田さん、国分恵太さん、小野正敬さん、吉田さん、奥山さんの5人が見えた。我々4人を加え、全部で9人の人が集まった。最初は、教育委員会の考えを30分以上説明があった。話を聞いていると、何か心細くなるような話であった。よっぽど地元の人や我々が働きかけないと立派な開館にはならない気がした。
 帰りは、工藤さんと私が恵太さんの車で、さくらんぼ東根駅まで送っていただいた。日色さんは、2泊青松館にとまり、資料収集をするようだ。明日、どうやって来るんだろうと考え、恵太さんに頼んだら、快く迎えに行くと返事をしていただいた。
 今回、村田さん、恵太さんには、大変お世話になった。特に恵太さんは、奥様の誕生日の日が、交流会と重なり、ご迷惑をかけてしまった。多分二人だけで、お誕生日のお祝いをしたかったんだろうに、ご迷惑をおかしてしまった。奥様、お誕生日おめでとうございます。


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